北魏:孝文帝のお話・・・。(part1)

彼にはいったい何があったのか。なぜ泣いている・・・。「母上・・・」とは

世界史がよくわからない人でもわかるように、お話します。

時は400年代半ば・・・日本は「古墳時代」、厩戸皇(聖徳太子)から100年ほど前、

近隣中国は漢という王朝が1つにまとめていたが、そのリーダーが死ぬと、「後継者争い」に悩まされた。「俺がリーダーになってやるー!」って奴らが、たーーーくさんいてね。で、3人の若手リーダーが「三国(魏・蜀・呉)時代」を作り上げ、中国はばらばらになってしまった。

それを再び1つにまとめた男がいたが、死んだらまた始まるよね・・・「後継者争い」が。

中国はこの「後継者争い」が悩みだった。毎度毎度起こるからね。

その争いが凄かった。特に北部。地図をイメージしてもらうとわかりやすい。中国北部は北にモンゴル西にはチベットと、陸が続くため、異民族が入りやすい。そこで、この後継者に名乗り出るため、中国(漢人)のリーダー候補者たちは何をしたかというと、その異民族に「一緒に戦ってくれ!力を貸してくれ!!」と共闘する。そして、争いが激化。

そして、協力した異民族は「漢人・・・俺らより大したことねぇーな。弱ぇ・・・。よし!」と、漢人の後継者争いに異民族が介入、なんと北部は異民族に支配されてしまう・・・ほら、モンゴル人って強そうでしょ?いや、強い。相撲を想像してみて・・・白鵬とか、朝青龍とか、日馬富士、鶴竜が何百人もの部下を引き連れ、馬に乗って、ドドドドドーーーーー!!!!!!ってきたら・・・大地が揺れる。(モンゴルの話はまた近いうちに・・・)


さぁ、話を戻すと。

その異民族のなかに【鮮卑】っていう現在のモンゴルの血を引く異民族がいた。もちろん強いっ!その鮮卑のなかに【拓跋(たくばつ)族】っていう人たちがいた。あの、日本人の中にも”関西人”とか”東北民”とかいるでしょ?そんな感じです。

その拓跋族=鮮卑族が北部の分裂をまとめ上げ、【北魏】を建国した。もちろん彼らは異民族。もともといた漢人に嫌われていただろう。「俺らの土地に・・・異民族がいるなんて・・・」って。拓跋族はだからこそ友好関係を築こうとする。また争いが起きちゃうでしょ?そこで、実行したのが・・・

【婚姻関係】を結ぶこと。つまり、漢人と拓跋族の「結婚」

そしてその二つの異なる民族から生まれたのが、孝文帝だった。お母ちゃんが鮮卑で、お父ちゃんが漢人。

さぁ、この婚姻関係を結んでから、中国にはある悩みがなくなっていった。

先ほど言った「後継者争い」。・・・でも、普通はこの「後継者争い」に拍車がかかると思いません?だって、後継者がいなければ、漢人は中国を再び漢人の国にできるチャンスがある。異民族には出て行ってほしい・・・。でも、この後継者争いが起こらなくなる・・・。

その理由が、イラストでも描いた「母上・・・」っていう言葉。

なぜ泣いている・・・その理由とは・・・。(part2へ)



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