北魏:孝文帝のお話・・・。(part2)

では、続きを・・・

中国では、「後継者争い」の悩みのほか、もう1つ歴史的な悩みがあった。

それが、上のイラスト。中国では皇帝の身の回りをお世話する【宦官(かんがん)】と、皇帝の母親の一族をさす【外戚(がいせき)】の二つの勢力があった。


宦官は365日、24時間皇帝のお世話をしているので、皇帝に情が入る。ちなみに彼らには・・・「男性器」がついていません。男性ホルモンが乱れるため、かなり女性のようになるみたい・・・

一方外戚はもちろん、皇帝を生んだ母親の一族なので、影のボス的な立場・・・

この争いが、ず~~~~~~~~~っと絶えず繰り広げられていて、悩みの一つであった。

この争いが起きないために、皇帝は何ができるのか・・・。これがpart1のあの写真につながる。


そう、「皇帝の母親を殺すこと」


母親がいなければ、自分が死んだあと、後継者争いが起きにくくなる。そのために、孝文帝、実は母親を殺されています。即位したのが幼かったから。これが彼の拓跋族の掟(おきて)であった。

さぁ、考えてみて・・・。孝文帝、いいお嫁さんに恵まれて、結婚し、男の子が生まれた。

その瞬間愛する人が死ななければいけない・・・。あなたならどうしますか?愛する人との”愛”をとるか、それとも愛する人との”愛の結晶”をとるか・・・。


当時は選ぶ権利はありません。これが文化、風俗というやつです。

この掟は、中国には受け入れられない。親は大切にするべきだという文化があるから。だから彼は【漢化政策】をし、モンゴル系の拓跋族の掟を取り払おうとしたのだった。

でもきっと実の母親を殺されたその気持ちを、後世に残したくなかった気持ちもあったんだろうなぁ・・・


歴史は面白い!!

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